夫婦二人三脚で歩む 「趣味」と「社会貢献」
2024年5月29日から社友会ホームページのトップページ写真欄に掲載している<<会員の活動紹介>>の推薦募集ポスターをご覧いただき、奥様からお手紙でご主人の宮本信吉様をご推薦いただきました。記念すべき推薦公募の応募第1号です。8月13日、諏訪市のご自宅にお邪魔させて頂き、ご本人様、奥様にお迎え頂きお話をお聞きすることができました。お二人とも80代後半とは思えない若々しさで、会話の歯切れも良く、瞬く間に1時間30分というインタビュー時間が過ぎてしまいました。
<宮本信吉さんの経歴>
宮本さんは1935年生れの現在89歳になられます。ちなみに奥様は来年(2025年)米寿をお迎えになるそうです。
1959年に信州大学工学部を卒業され浜沢工業(茅野)に入社、時計用文字板の設計・生産技術を担当されました。その後、1987年にはエプソン販売東京事業所に勤務されワープロ・パソコンの販売、1988年からはセイコーエプソン広丘事業所にてパソコンの品質管理業務を担当され、1995年に定年退職を迎えられました。退職後は7年間、県中小企業振興公社諏訪地方事務所に勤務されました。
<次の人生、趣味と地域貢献活動>
定年退職後、当時お住いの諏訪市清水四区の民生児童委員を3期9年間務められ、地域区民のコミュニケーション活性化、防災活動など地域安心安全活動の中心となり活動されました。
この地域貢献活動のきっかけは、退職前に遡ります。社会福祉協議会に勤めることとなった奥様が、そこで「送迎ボランティア」事業を立ち上げ、送迎ボランティアの一番手として旦那様の宮本信吉さんに奥様から声掛けがされ、重要なボランティア要員として参加し活躍されました。このことが宮本信吉さんの「社会貢献活動」の扉を開けることになりました。
また、現役中は、いわゆる昭和の「24時間、働き続けますか!?」世代の仕事一途人間だったので、定年後は家族との絆を大切に生きたい、と思いを巡らせました。そして「妻と娘はピアノ演奏という音楽で繋がっている。自分も退職したら音楽で家族の絆を強くしたい」と考えるようになりました。そして、勤めを完全にリタイアしたところで、フルートをゼロから始めました。まさに「70の手習い」です。しかも奥様も一緒にフルートを習い始められ、夫婦で互いに切磋琢磨しながらフルートの習熟を高めることができました。
<趣味に地域貢献に、夫婦二人三脚で歩む>
完全リタイア後に始めたフルート演奏では、「フルートアンサンブルの会」に加入し、定期的な演奏会に出演することで徐々に腕を上げてゆきました。そして、昨年(2023年)米寿を迎えるにあたり、お嬢様のピアノ伴奏による奥様とのフルート・デュオ演奏をCDに収め「米寿記念CD」として、兄弟をはじめ親戚の皆さんに奥様との旅行を兼ねてお配りしました。
記念のCDジャケットの裏面にはこんな一文が。
「音が出ないところからスタートして苦労の連続でしたが、いつの日か娘のピアノ伴奏でフルートを吹いてみたいという夢をもって励んできました。その夢がかないました!」と。
来年(2025年)には奥様が米寿をお迎えになられるということで、奥様の演奏をフューチャーしたCD制作を考えておられ、準備を始めていらっしゃるそうです。
地域貢献活動では、先に紹介した民生児童委員としての活動に加え、当時居住した諏訪市清水四区において区役員に働き掛け、サロン活動・地区ボランティア活動の中心となる「いきいき四区の会」を設立、15年に亘り会長を引き受けられました。この会では「この町にいてよかったと感じる安心で健康的な町」を目指してふれあい活動・ささえあい活動・防災対策活動・啓発活動(広報・講座)を4つの柱に地域活動の中心となって活動を進めました。
また、お住いの地区に留まらず諏訪市介護相談員として12年間に亘り市内の介護施設を訪問し、入居者からの相談に乗り、様々な問題解決に尽力したことで2016年(平成28年)9月に「永年活動功労者表彰」を受章されました。この介護相談員の経験は、現在も積極的に奥様と一緒に活動しているフルート演奏による福祉施設慰問の場でも活かされています。フルートの音色に施設利用者の皆さんが癒されていることはもちろんのこと、演奏後の交流として開かれる施設利用者とのお茶飲み話の場でも宮本さんご夫婦の人柄の本領が発揮されているようです。特に明るいお人柄とお喋り好きの奥様には施設利用者の方から切れ目なく話し掛けられ、そのお話を聞いてもらえたことで更に癒されているそうです。しかも、このお茶飲み話は、ご夫婦にとってもお話しいただいた方の“生きてきた道”人生を知ることができ、自分たちのこれからの生き方の道標として気づかされる機会としてとても大切にしている時間だそうです。
また、宮本信吉さんは、お一人でも楽しまれている趣味を持っています。それが「絵手紙」です。10年近く続けていて、兄弟や友達とのやり取りに絵手紙で届けることで想い出作りになっています。最近では掛け軸サイズの大作も手掛けられています。
<今までも、これからも豊かな生き方を続けたい>
定年退職前に、社会福祉協議会職員として社会貢献活動をされていた奥様に、なかば導かれるようにボランティア活動に参加し、それが退職後の民生児童委員活動や、地域福祉ボランティア活動などに拡がり、人との繋がりを大切にすることで豊かな時間を持つことができました。
米寿を過ぎた今は、以前のような活動的に動くことは難しくなってきてはいますが、身近なご近所とのコミュニケーション作りを率先して取り組み、地域の方が気楽に遊びに来てくれる家(家庭)づくりを目指しています。「いつでも私の家に来て!!」がスローガン。
そして定年後に始めたフルート。これからも奥様との共通の趣味として二人で演奏技術の向上を目指し、その成果を<フルートアンサンブル発表会>や<施設慰問>で披露して行きたいと思います。
7年前からは社友会「パソコン同好会」に加入し、現在も勉強中です。年だからと言って諦めず、色んなことに興味をもってチャレンジすることが大切と考えています。しかしチャレンジするにも健康維持が重要です。月に3回の健康体操の会への参加と、1日5,000歩を目標にしてのウォーキングを励行しています。
<今の自分があるのは>
聞いてみました、定年退職後の活き活きとした生活(人生)はどうやって手に入れたのでしょう?
一つには趣味を持ったこと。特に仕事人間であった現役時代を終え、その後の人生、家族との絆をさらに強く築くためフルート演奏(音楽)を夫婦共通の趣味としたこと。
そして社会貢献活動に身を置くことで多くの方々と知り合うことができ、知り合った皆さんからは多くのことを学び、そして仲良くなれたことにあります。
コロナ禍で施設訪問の機会が激減してしまいましたが、お声掛けいただければ施設訪問の機会を増やし、多くの方と語り合いたいと思います。また日常では、顔の見える近所付き合いを率先して実行し、「いつでも家に来て!」をモットーに、ご近所からも自分たちを見守られる生活をしています。
<取材後記>
お盆の何かと気ぜわしい時期の8月13日にインタビューにご自宅にお邪魔させて頂きました。
昨年米寿を迎えられた宮本信吉さんと、来年米寿をお迎えになる奥様と共に健康的で溌溂とした暮らしぶりを拝見させて頂きました。特に奥様のお喋りのテンポの良さには感心しました。フルート演奏で培われたリズム感なのでしょうか?
お話をお伺いして感じたのは、仕事一筋でいわゆる企業戦士だった宮本さんが、定年退職を迎えるにあたって家族との絆を作ろうと強くお考えになり、その時、奥様とお嬢様がピアノをされていて、そこに自分も音楽で繋がりたい、とすべてのお仕事を離れられた後、フルートを奥様と一緒にゼロから始められた宮本信吉さんの強い想いです。残りの人生、一番に家族を置いての人生設計と実践ではなかったでしょうか。
これからもお二人仲良く「二人三脚」で末永く健康で過ごされることをお祈りしています。
取材担当:ホームページ委員会 飯田益男・宮本幸男