ゲートボールを指導しています
2023年9月21日、小学児童にゲートボールを指導されている河西佳一(かさい よしかず)さんを指導の現場にお邪魔し、打ち込んでいられるゲートボールについてインタビューさせていただきました。もともと運動することがお好きで、野球やバスケットボールにも打ち込まれ、スキーにおいては指導員の資格までお持ちの河西さんがどのような経緯でゲートボールに惹かれていったのか、興味深く聞かせていただきました。
<プロフィール>
河西さんは、1955年当時の第二精工舎諏訪工場に入社され、工作工場に配属となりました。
入社して数年は、終戦前に製造された工作機械の修理作業が中心で、それらを使用できるようにして時計の部品造りをされていたそうです。その頃は、のんびりとした雰囲気もあったとのことですが、その後、工機開発の職場で「R計画」と称される製造の効率化の活動に携わられ、ケースなどの製造の高速化にご苦労をされたとのことです。
1977年には工機のメンバーとしてTPLにも出張されるなど、工機関係で長年時計製造に携わられた後、TFT実装技術開発Gでのプロジェクターの立上げ(R・G・Bパネルが揃わずに苦労されたそうです)に関係し、1989年より諏訪南事業所に異動され、MIM保全Gにて液晶パネル製造装置の保全にご尽力され、2000年に定年を迎えられました。
<活動内容>
ゲートボールを始めたきっかけ
定年退職された当時、お住まいの地区でもゲートボールは盛んに行われており、ご両親も参加される身近なものでもあり、地区の方に勧められ始められました。そのような状況の中で、河西さんは偶然にもあるゲートボールの大会に急遽出場することになりました。
「大会に参加するメンバーが足りない」とのことで、地区の役員がメンバーを探す中、以前より運動を得意とされていた河西さんに白羽の矢が立ったのでしょう。お誘いの声がかかりました。ご本人も退職後何か運動をしたいと思いゲートボールを始めた矢先であり、その大会に出場することにしました。この巡り合わせが、その後ゲートボールと深く関わっていくことになります。
ゲートボールは、5人対5人で得点を競い合うゲームです。制限時間は30分。各自のボールを相手チームと交互にスティックで打ってゲートを通過させ得点を重ねてその総合点で勝敗が決まります。主審の打撃通告から10秒以内にボールを打たなければペナルティとなるルールもあります。
河西さんが参加したチームは順調に勝ち進み、決勝戦まで進むことができました。決勝戦ではお互いのチームが得点を重ね、白熱した試合の中、なんとしたことかラストストロークの打順が河西さんに回ってきたのです。ゲートに浅い角度で5mほどの距離に位置するボールを通過させることができるかできないか。通過させられれば自軍の勝利、させられなければ負ける場面で、河西さんは見事にボールをゲートに通過させ、チームの優勝が決まったのでした。
この優勝を機に河西さんはゲートボール協会にも入会され、その後のご活躍につながることになります。
大会出場の実績
河西さんは数々の大会に出場されて、以下の華々しい実績を残されています。インタビューではご本人の口からのお話はありませんでしたが、相当の練習をされていたことが伺えます。
全国大会(長野県代表) 2006~2008年(選手)、2009、2015年(主将兼選手)
北信越大会(南信地区代表)2007、2009~2011、2015~2017年
県大会(JAバンク年金友の会 諏訪地区代表)2006年 優勝
一方、全国大会ではセンチメートル単位でのボールのコントロールをするトップチームのレベルの高さを実感した場面もあったそうです。
ゲートボールを盛んにしたい
インタビュー当日は諏訪市立中州小学校の7名が指導を受けていました。リラックスした雰囲気の中でしたが、児童のみなさんは「狙い通りにボールを転がすことが難しくて・・・」とボールのコントロールに苦労していました。児童全員が6年生でインタビュー時の今回が指導を受けられる最後になるとのことで、さみしさも感じていたようです。
小学生への指導は、市内の別の小学校への指導を残して今期はもうしばらくして終了しますが、本年2月より毎日曜日、市の広報で募集した一般の方6名にも指導をされており、それは継続されるとのことです。
一時期よりゲートボール人口が減少し、身近ではなくなってきていることは否めません。その原因は高齢化とともに団体競技(特にゲートボールは戦術的に相手を妨害することがテクニックの一つなので)を嫌う傾向にあるからなのかもしれません。ゲートボールを実施している地域も減少し、諏訪市では協会の人員は現在46名とかつての5分の1にまで少なくなっているのが現状だそうです。
しかしゲートボールはコートに起伏がなく屋内で一年を通して親しめる競技であり、特別な体力も不要で、子供から高齢者まで参加できます。一方、個人の技量や体調、作戦が重要な団体戦で非常に頭を使う奥深い競技とのこと。
「年寄りが楽しそうにゲートボールに打ち込んでいる姿を子供たちに見せて興味を持ってもらいたい」との思いで農作業もある中、ご自身は現在も毎週3回の練習をされているとのことで、その熱い思いを感じた次第です。
菊づくり(もう一つの話題)
ゲートボールにとどまらず、河西さんは幅広いご趣味をお持ちで「菊づくり」もされています。JA菊花展の会長の経験もおありです。
もともとは、諏訪の手長神社の本殿に続く階段に飾るための菊を手掛けることがきっかけでした。何事にも「極めたい」との河西さんの強い思いからでしょう、「どうせ飾るのであればいいもの飾りたい」と、菊の育成に深く関わっていかれたようです。
菊の育成は大変難しいのだそうです。頻繁な消毒、それも複数の消毒剤を使う必要があり、水やりにも細心の注意を払わなければいけません。以前たまたま二日水やりをしなかったため、大切な紫の花を枯らしてしまったこともあり、それを大変残念がっておられました。
現在は足腰も痛くなり、重い物を持つことも大変になられたようで、菊づくりは体調を見ながらではあるけども継続できれば、と考えていらっしゃるそうです。
インタビューを通して河西さんのゲートボールや菊づくりへの熱い思い、エネルギーに触れ、敬服すると同時に充実したライフワークを羨ましく感じました。
またピンチヒッターとして出場されたゲートボール大会でのラストショットが、その後の河西さんの人生に大きく影響したと言っても過言ではなく、まさに「運命的な出来事」であったのだとしみじみ感じた次第です。
この記事を読まれてゲートボールに興味を持たれた方は、一度ネット検索されてみてはいかがでしょう。もしかしたらそこから何かが始まるかもしれません。
(取材HP委員 宮本 幸男、瀧澤 宏)